1997年6月2日の朝、私は母と大学時代の友人に見送られ成田にいました。いよいよ香港での生活が始まるのです。最初の半年は日本へも帰れないし、訓練は厳しそうだし、それに第一香港が合うかどうかもまだ未知の場所だったので分からず不安もありました。でもそれよりも、これからもずっと旅行ができるし、外国に住めるのがうれしく、どちらかというと何も深くは考えていなかったような気がします。
総勢10人で第一ターミナルの歩くエスカレータを進みました。これから乗るC社の機体が見える場所で待つ間、オペレーションをするクルーが続々やってくるのが見えたのですが、皆やたらと細くて、そこにいた一同「すごい細いよー!」 と細い理由が訓練やフライトが厳しいからだと思い込んでいました。後に自分たちが飛び出してから、細い理由はフライトが忙しいからという理由ではないことも、またフライトが厳しいのにも関わらず細くならないことにも気づかされるのですが・・・。あるいは会社指定のストッキングが紺だから実際よりも細く見えたのかも知れません。
午前11時前にボーイング747-300の機体に乗り、香港へ。そこで出会ったのは恐ろしく無愛想なクルーでした。「外資だからあまり愛想よくないのかな?」とも思いましたが、この先がちょっと不安になりました。通路をはさんだ左隣の席にたまたま「昔C社で飛んでたのよ」という女性が乗り合わせていて、「C社はどうですか?」のような話しになりました。また、たまたまこの便に同じ97年入社で早い時期に訓練済みの日本人男性クルーが乗っていて、ギャレーまで案内してもらいました。ギャレーには男性チーフがいて「訓練は簡単です。大丈夫」 と励ましてくれました。後になって全然簡単でないことが分かったのですけれど。
また、機体にはエコノミークラスにも関わらず当時としてはまだ珍しいPTV(液晶パーソナル画面)がついていたのですが、なぜか映画が見られなかったのでゲームをしました。hang manとか、トランプゲームなどの単純なものだったけれど面白く、また席にPTVがあること自体がうれしく思いました。
それと、食後にアイスクリームが出るのもうれしい驚きでした。ただ、サーブしてくれるクルーはこれまた表情がこわかったのが難点でした...。
機体がカイタックに向けて着陸態勢に。窓から見える香港の建物はピンクやブルーだと日本にはない色。でも着陸ルートが海側だったせいか、よくテレビでみるような建物ぎりぎりの風景ではありませんでした。
到着後、あまり事情をよく把握していなかった新卒&学生上がりのわたしたちは、何も考えずに観光客用の入国審査列に並んでしまい、ちょっと手間取ってしまいました。そういえば労働目的で来ていたのに。皆、社会人経験がないからそんなこともよく考えていなかったのでしょう。
やっと入国ゲートを超え、荷物を持って出ると、そこに待ち受けていたのはC社のコーディネータである香港チャイニーズのミランダという女性。めがねに、髪はぼさぼさ、でもなぜかフレアのミニスカートで顔のほくろから毛が生えている、という出でたち。しかも英語の発音が恐ろしくなまっているうえ、早口で何を言っているのかさっぱり分かりません。そして、にこりともせず、ワンセンテンス毎、しきりに「OK?」と語尾につける。でも何が「OKなの?」とさっぱりわからず...。そして車窓から見える香港の町並みも恐ろしくすすけて古いアパートが目立ち、「なんかやっぱりすごいところに来てしまったかも」 とぼんやり考えていました。
しばらくすると訓練中8週間泊まることになる油麻地のYMCAに到着しました。2人一組でツインの部屋をあてがわれました。部屋は清潔だけど、スーツケースを広げることもできないほどに狭かったです。でもいまだに旅行気分の私は、とりあえず「着いた!」という感激の方が強かったのです。ただ、部屋に到着して荷物を解いていくうちに下着の替えのほとんどを忘れてしまったことに気づいて後日家族に郵送してもらうはめになりました。
これから海外で働くことにした割に、抜けの多いのん気なスタートでした。